草津は古代から、主要な道の通る交通の要でした。
江戸時代には東海道と中山道という2本の街道が分岐・合流する地としてにぎわい、東海道から分かれる「矢橋道(やばせみち)の先には、琵琶湖岸の港「矢橋港」がありました。
矢橋港と大津を行き交う船を描く「矢橋帰帆(やばせのきはん)」は、琵琶湖岸の景勝を挙げた「近江八景」のひとつとして、浮世絵や工芸品をはじめ、数多くの美術品のモチーフになっています。草津から大津に向かうには2つのルートがあり、矢橋港からの船は徒歩よりも速いものの、就航が天候に左右されたためかえって時間がかかることもありました。一方、街道をゆけば瀬田橋を経由し、回り道ながら着実に向かうことができました。ことわざ「急がばまわれ」はここから生まれたとされています。