江戸時代の草津宿には、記録に残る限りでも70軒程度の旅籠(宿屋)があったことが分かっています。旅人を相手にする茶屋や煮売屋(総菜屋)の他にも、米・雑貨・古着屋や質屋、両替屋など生活を支える商家が軒を連ねており、多くが農家を兼業していました。 「脇本陣」は、本陣の利用者が重なった場合などに、本陣に代わって大名や公家などの休泊に使われた宿であり、通常は旅籠として一般の旅行者も宿泊することができました。